ブックレビュー4
2013年 06月 27日
泣かない女はいない/長嶋有著
泣くということについて考えてみる。人は、女は、どういうときに泣くのだろう。言葉では足りないとき、言葉が見つからなかったときかもしれない。あるいは言葉では具体的すぎるときかもしれない。(あくまでも誰かに見せつけるようなものではなく孤独に)「泣く」という行為にはどこか神聖な儀式のような面持ちがある。だから思いがけずそれを見てしまった者は罪悪感と優越感の入り交じったような気持ちをしばし引きずることになる。私達はこの一冊の紙の束から、二度も、その貴重な経験をする。
言ってはいけなかったこと、言えなかったこと、言えば良かったこと。それが発せられたか否かに関わらず、この小説では「言葉」の存在を強く感じる。それを巡って人は誤解や後悔をくり返す。でも全てを真っ直ぐに放つことが正しいわけじゃない。悲しいけれど私達は泣くことだけで越えていかなければならないときだってあるのだ。
何度読んでもこのラストシーンは良い。男性でありながらこの作品を書ける著者に感謝と尊敬の眼差しを向けずにはいられない。そして私は、ボブマーリーの「NO WOMAN NO CRY」を耳にするとき、「女、泣くな 女、泣くな」ではなく主人公睦美が惹かれた樋川さんのように「泣かない女はいない」と頭の中で翻訳するようになった。〈A〉
泣くということについて考えてみる。人は、女は、どういうときに泣くのだろう。言葉では足りないとき、言葉が見つからなかったときかもしれない。あるいは言葉では具体的すぎるときかもしれない。(あくまでも誰かに見せつけるようなものではなく孤独に)「泣く」という行為にはどこか神聖な儀式のような面持ちがある。だから思いがけずそれを見てしまった者は罪悪感と優越感の入り交じったような気持ちをしばし引きずることになる。私達はこの一冊の紙の束から、二度も、その貴重な経験をする。
言ってはいけなかったこと、言えなかったこと、言えば良かったこと。それが発せられたか否かに関わらず、この小説では「言葉」の存在を強く感じる。それを巡って人は誤解や後悔をくり返す。でも全てを真っ直ぐに放つことが正しいわけじゃない。悲しいけれど私達は泣くことだけで越えていかなければならないときだってあるのだ。
何度読んでもこのラストシーンは良い。男性でありながらこの作品を書ける著者に感謝と尊敬の眼差しを向けずにはいられない。そして私は、ボブマーリーの「NO WOMAN NO CRY」を耳にするとき、「女、泣くな 女、泣くな」ではなく主人公睦美が惹かれた樋川さんのように「泣かない女はいない」と頭の中で翻訳するようになった。〈A〉
by 2papas_girl
| 2013-06-27 17:12
| 本