吉祥寺週3ベーカリー「2PaPas sometimes a girl」は営業終了。調布市で「MUCHAMIの小さなパン教室」を行う。不定期のパンイベント(押上・ししまる食堂、両国・青空市ヤッチャバなど)では、パン教室Atelier Rとのコラボベーカリー「Ra+Ra BAKERY(ララベーカリー)」の名で活動中。

by 2papas_girl

カテゴリ:本( 7 )

ブックレビュー7

パーク・ライフ/吉田修一著

 本書について語るのは難しい。何か事件が起こるわけでも、愛や憎しみといった強い感情が渦巻いているわけでもない。ただ、何も起こらないようで何かが起こっている、ような気がする、といった極めて微小な予感めいた波動が静かに全身を伝ってくる。極めて微小なのにそれが体を突き抜けた後にはなぜかしら確固たる清々しさと希望のようなものさえ残る。大変まどろっこしいが、そんな作品と言っておこうか。

 この、説明すると「ような」のオンパレードになってしまう作品にきちんと現実感が伴い、それゆえの説得力があるのは著者特有のひんやりとした現代的センスのせいだろう。男女が言葉を交わしたきっかけの臓器移植ネットワークの広告、本来の主不在の部屋で寝泊まりする男、中が空洞のアンティークの人体模型、ネット上で世界を旅する「ぼくの分身」、スターバックスの女性客がみんな自分に見えると言う女。

 私たちはばらばらに生きている。自分の体と心も、見えているものと実際見ているものも、私の世界とあなたの世界も、ばらばらに。

 本書を携えて日比谷公園に行ってみてほしい。作品と地続きになったこの場所の心字池を見下ろすベンチから園内をぼんやり眺めていると、ミニチュアサイズと化した自分を取り巻く世界を他人の目で傍観しているような不思議な感覚に陥るだろう。見えるものは多分ばらばらだけど、各々に見えて来るものがきっとある。〈A〉
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by 2papas_girl | 2013-07-04 09:32 |

ブックレビュー6

蒼いみち/小澤征良著

 すっと世界の扉が開く清々しさ。ばらばらに点在していた何かが弧を描いて浮かび上がるまばゆさ。(偉大な音楽家を父に持つ著者らしく)一つの音楽が流れるように、成長と自由の物語は時にリズミカルに、時に滑らかに奏でられる。

 アパレル関係の会社で働く励奈はどちらかというと優等生のごく普通の女の子だが、心の奥の方にはでいつも小さな違和感を抱えて過ごしている。「まわりの人たちが進んでいるのに、蠢く世界のなかで自分だけが止まってしまったような」「自分が存在していると思い込んでいるのは私だけで、実は自分はここに存在していないかのような」感覚。世界と自分との間にある、見えない膜のような存在に対するある種の執着心は自由への渇望に他ならない。自由であることは世界に向けて自分が「開かれている」ことだ。

 ここでは間違ってかけた一本の電話が、決して直接的ではなく巡り巡って彼女の未来を動かす要因となる。ばらばらの断片を繋ぐきっかけはなんて唐突に現れるのだろう。近しい誰かや何かとの直接的な関係の中からだけではなく、他人の残したものや実際には振れられない本の中の世界ともこうやって関係していける。それはとても希望に満ちた、豊かなことだ。私達はいま、ちゃんと「開かれて」いるだろうか。〈A〉
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by 2papas_girl | 2013-07-01 22:10 |

ブックレビュー5

わたしのマトカ/片桐はいり著

 片桐はいりさんと言えば、あの独特の風貌と演技が存在感を放ち過ぎるので「ドラマや映画でよく見る、ちょっと出ただけで面白い人」という印象が強いかもしれない。けれどエッセイを読んであれまあびっくり。とにかく素晴らしい書き手なのである。その生き生きとした言葉と、そこから浮かび上がって来る彼女の人間性への敬愛の念が一気に押し寄せ、以来憧れの人になった。

 本書には映画「かもめ食堂」の撮影で滞在したフィンランドでのあれこれが書かれている。あのほわん、とした映画の空気の外でこんなに愉快なことが日々起きていたのかと思うと、そちらも是非ドキュメンタリーで観てみたかった。

 たとえば、その土地のものを一度は試してみようというのは普通の旅行者にも備わっている好奇心だと思うが、片桐さんはそれが尋常じゃなくストイックだ。ゴムみたいな味のフィンランド菓子サルミアッキを克服するという苦行を、誰に言われるともなく自分に課す。結果、一ヶ月かけて決して美味しいとは思わないままサルミアッキのアイス、果てにはお酒にまで到達する。だから何ということはないのに、何よりもそれ自体を楽しんでいる。そんなドタバタと体も心もフル稼働させている日々の中でふと訪れる些細だけれど奇跡のような優しさに溢れたエピソードは、何時もその土地の魂に触れようと奮闘する彼女への贈り物のようだ。こんなふうに旅をし、こんなふうに生きてみたい。〈A〉
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by 2papas_girl | 2013-06-29 20:28 |

ブックレビュー4

泣かない女はいない/長嶋有著

 泣くということについて考えてみる。人は、女は、どういうときに泣くのだろう。言葉では足りないとき、言葉が見つからなかったときかもしれない。あるいは言葉では具体的すぎるときかもしれない。(あくまでも誰かに見せつけるようなものではなく孤独に)「泣く」という行為にはどこか神聖な儀式のような面持ちがある。だから思いがけずそれを見てしまった者は罪悪感と優越感の入り交じったような気持ちをしばし引きずることになる。私達はこの一冊の紙の束から、二度も、その貴重な経験をする。

 言ってはいけなかったこと、言えなかったこと、言えば良かったこと。それが発せられたか否かに関わらず、この小説では「言葉」の存在を強く感じる。それを巡って人は誤解や後悔をくり返す。でも全てを真っ直ぐに放つことが正しいわけじゃない。悲しいけれど私達は泣くことだけで越えていかなければならないときだってあるのだ。

 何度読んでもこのラストシーンは良い。男性でありながらこの作品を書ける著者に感謝と尊敬の眼差しを向けずにはいられない。そして私は、ボブマーリーの「NO WOMAN NO CRY」を耳にするとき、「女、泣くな 女、泣くな」ではなく主人公睦美が惹かれた樋川さんのように「泣かない女はいない」と頭の中で翻訳するようになった。〈A〉
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by 2papas_girl | 2013-06-27 17:12 |

ブックレビュー3

ひとり日和/青山七恵著

 私達日本人は桜を愛でるとき、多かれ少なかれ、去年誰とこうやって桜を見たのか、その頃自分はどんな気持ちでいたのかという個人的な記憶をも同時に愛でてているのではないだろうか。他人からすれば何を見ているのか分からないその表情は何とも言えず美しく、ここに花見の真意があるようにさえ思う。21歳の千寿が71歳の吟子さんと暮らした春夏秋冬を綴った本書には、それに近い情緒といくつもの表情が詰まっている。

 千寿には、人の鉛筆やクリップなど取るに足らないものを盗む癖がある。それらを納めた靴箱を時々開けてはかつての持ち主のことを思い出し、懐かしさと罪悪感に浸るのだ。人の温もりは欲しいけれど直に触れる関係では近すぎるのか。まだ大人になりきれない彼女にとって、誰かの記憶を抱えたこれらのモノ達は直接的な関係性のうえで起こる面倒なあれこれとは無縁のプラトニック的な対象として甘美な風をもたらすものなのかもしれない。

 母親に対し「理解されないことではなく、理解されることがなんとなくいや」と思う21歳の彼女にとって、血の繋がりのない71歳の吟子さんは、靴箱のモノ達のように適度な距離感を保ち、それでいてきちんと人の体温と経験値からくる底知れない器を持った存在として、しだいに千寿の意識が変わっていく様が丁寧に描かれる。

 もし千寿がどこかで月日を重ねているのなら、桜を見ながら思い出すのは吟子さんのことだろうーそんな余韻が残る。〈A〉
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by 2papas_girl | 2013-06-24 10:28 |

ブックレビュー2

「三十歳までなんか生きるな」と思っていた/保坂和志著

 どんな大人になりたいか(とっくに大人でも、この問いは必要だ)、と問われたら、考え続ける大人になりたいと答える。そしてそう言う人が少しでも増えることを切に願う。考え続けること。それはすなわち、思春期のように小さなことでも律儀にうじうじ悩み続けることであり、時代や社会のせいにして自分を埋没させたりせず絶えず自分を更新し続けることであり、理不尽な仕組みや慣習には「大人げなく」反発し続けることであり、あらゆる真摯な表現というものには無防備に感動できる感性を持ち続けることであり、便利さやわかりやすさや都合の良さに惑わされず多少しんどくても自らの物語を紡ぐ力を持ち続けることだ。

 著者をはじめ「考え続ける人」は悲しいかな、圧倒的に不利な立場にある。なんとなく長く広く言われたがために正論のようになった「考え」を高らかに掲げている人と向き合おうとしても、その不毛さにたいていの考える人は対話の意欲を失ってしまうからだ。考え=個人の想いのないところには何も生まれない。

 「三十歳までなんか生きるな」とは実際に著者が大学進学直前に紙に書いて壁に貼ろうとした言葉だそうだ。結局紙には書かなかった、60年代のヒッピームーブメントの反体制運動スローガンとして掲げられたこの言葉を30年経っても忘れなかったという。考え続けることは孤独で根気のいる作業だけれど、それは結果的には幸せになるための唯一の方法なのではないだろうか。〈A〉
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by 2papas_girl | 2013-06-21 12:06 |

ブックレビュー1

長崎くんの指/東直子著

 かつての栄華を失ってもひっそりと営業を続ける郊外のレジャー施設「コキリコ・ピクニックランド」と、人生のある瞬間にそこを通り過ぎていった人々の物語が、独特の奇妙さと色気と優しい突き放しによって構成されている。

 人が年を重ねていくごとに色々なものを失っていくのはコキリコピクニックランドとそう変わらない。生まれた瞬間から生きながら少しづつ死んでいく私達は、普段意識していないけれどふと我に返って立ち止まり、その逃れられない運命に一瞬思いをめぐらすときがある。それは具体的に体の一部に対しても言えることで、「自分のものにしたくて仕方がなくなった」ほどわたしが盲目的に恋した長崎くんの「完璧な指」もいつかは皺だらけになるだろう。けれどバタフライガーデンの岩山さんの「会う度に淋しくなっていく頭髪になぜか魅かれ」、「残っている髪の毛が、人生に残された時間を示しているようで、切なくなる」こともある。観覧車と共に日々を過ごした森田さんや記憶をなくした「道ばたさん」や自分というものに無自覚な長崎くんを見ていると、その唯一無二の体自体もただの借り物のハコだったことに気づく。

 あとがきとして収録された「夕暮れのひなたの国」がまた素晴らしい。読んでいる間だけ読者も「夕暮れのひなたの国」に降り立つようなまぶしい体験をするとともに、ほんの少しの間だけこの世に存在している己の命の不思議さというものに、またはっとする。〈A〉



※しばらくは古本販売用に書いたブックレビューをのせていきます(イベント時焼き菓子付きで購入可)。純粋に本の紹介としてレビューを載せる場合もあります。
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by 2papas_girl | 2013-06-21 11:42 |